我が逃亡と映画の記録

日頃の感情を書き連ねて

『海底悲歌』上映決定から数日経って

数日ぶりです。

上映決定のご報告から、7日経った。この7日間、とてつもなく早く時間が過ぎていった。決定の報告、多くの方の目に触れることができ、また、上映中止の際に温かい言葉をかけてくださった方々を中心に、「おめでとう」という言葉が私の元に届いたこと、大変ありがたく思っている。

 

「おめでとう」

 

なんとも響きのいい言葉だ。たった5音で笑顔になる魔法の言葉。何を言ってるのか、よくわからないが、とかく嬉しかった。いつだか、私が大好きな、というより、私の中のピンク映画ベストとも言える映画を作ってくれた監督がこう呟いていた。

 

 

きっと私より多くの示唆と感慨を込めた文章だ。だが、私も今、そう感じる。きっとその気持ちは、4/23の公開のときも、そして、この先もずっと感じていくんだろう、とも思う。主語が「私たち」であるのが、美しいと思う。こんな風に、言葉を扱う人間を私は美しいと思う。

 

大蔵映画の『海底悲歌』を担当してくださっているプロデューサーの方が、こんなことを言っていた。

「発表したらすぐですよ。気がついたら公開です」

そんな言葉に私は、「楽しみます」と返した。

楽しいのかはわからない。思いもよらないところから連絡が来たり、音信不通になってた奴が連絡を寄越したり。面白いのだけれども、なんだかフワついている。自分よりも喜んでいる人を見てしまって、若干引いたりする時もある。一応、母に報告すると、「見にいく」と言われた。頼むからやめてほしいのだが、エッチな映画を撮っても、何も言わない親でよかった。

 

そうそう、「金持ちと付き合いたい」と昔からずっと言っていた女友達が、「久しぶりに会おうよ」と連絡してきた。世間的には、映画は稼げる職業だと思われているのだろうか。「俺、金ねえよ?」って返すと、「じゃあ遠慮する」と返ってきた。残念、ノーチャンス。

 

やや宣伝も兼ねて

”私たち”の映画『海底悲歌』は、4/23より上野オークラ劇場でかかる。

初週のスケジュールが出ていたので、こちらでもご報告する。

 

劇場では続々と、『海底悲歌』のポスターが並び、フライヤーにも宣伝文句が載っているらしい。

「若き才能、溢れる熱情、そして色気!温泉地、夜の漁港、廃校。印象的な場面と人々に去来する想いとの繋がり。冷めてからでは遅いのです。今、体感すべき作品です!」

 

どなたが書いてくださったのか、ありがとうございます。「冷めてからでは遅い」これはリアルだ。今、見てほしい。特に何か立ち止まっていると自分で感じてしまう女性に。本当は、高校生とかに見てほしい。無理だけど笑。だから高校生みたいな全ての大人に見てもらいたい。その中の誰かには、きっと今必要な映画だと思えるから。何かがあると思う。きっと。

 

 

併映作品は、山内監督の新作と、小川監督の作品。どちらもずっと前から、映画で一方的に知っている。

 

山内監督の『欲望に狂った愛獣たち』が大好きだ。あの監督と同じスクリーンでかかるなんて、誇り以外の何物でもない。私の中では、あの作品は成瀬巳喜男のフィルムと同等だ。かっこいい。主演のみずなれいさんには随分お世話になった。最高にかっこいい女だ。

 

小川監督は、言わずもがな大ベテラン監督だ。殆ど大蔵の大親分みたいなイメージ。フィルモグラフィは400を越えるらしい。私はその10分の1程度しか見られていないのが悔しい。ピンクの歴史、ひいては日本映画史、その手の本を読むと必ず名前に出てくる。

どういう手順で作品の選定がなされるのか、私はあまり理解していないが、もし仮に確信犯なら、粋だなぁと思う。

 

ドの付く新人と大の付くベテランが、劇場では並列されるのだから、恐ろしいものだ。

 

 

フライヤーの文句と似たようなことを、大阪芸術大学映像学科の学科長、大森一樹監督も書いていたので、ご紹介する。

「『海底悲歌』は間違いなくR18のピンク映画だが、その官能シーンの数々よりも、夜の水面、校舎などがとても美しく撮られていて、そちらの方がよほど官能的だった。ラストのトンネルの外の逆光の雨は、とりわけエロティックで秀逸だ。」

 

最初の「間違いなくピンク映画だ」という文言は、私が前作からずっと「ピンクになってるんだろうか」とアホの一つ覚えのように吐露していた事へのリップサービスだろう。リップサービスとは言え、嬉しいですね、こういうの。

 

でもそれよりも、ここにきて何の変哲もないインサートや引き画が、よく話題に上がる。それは肯定か、否定の裏返しか、そりゃ私にはわからんので、額面通り受け取る。

 

映画は俳優だ!とか、映画は脚本だ!みたいな文言は、本屋の映画コーナーに行けば五万と見るけれど、何はともあれ、映画はショットだと思う私としては、画に言及してもらえるのは何より嬉しい。それが物語上、不要とも思えるショットであればあるほど嬉しくなるのは、変なのだろうか。

 

『海底悲歌』裏バナシ〜秘密の立役者①〜

現場では、こういうショットの方が時間がかかった。例えば、校舎の廊下のショット。カメリハの時に、ああでもこうでもないと、わずか5秒のショットに3時間くらい悩んだ。現場になると、レールを引いて、ズバーと走らせようという最初の案から一転、単純なフィックス処理に変更した。

「拘ってたんじゃないんですか!」

と助監督の一人が、ものすごい剣幕で、やや落胆気味に声をかけてきたことを思い出す。そうして、その問答を聞いた特機部が、「ここは俺もこだわりたい」と割り込んできた。誰も引かない。足し算続きの画面。明らかに卒業制作の空気じゃなかった。みんな必死に食らい付いて、映画を作っていた。良いと言ってもらえた画面の多くは、そういう瞬間のあったショットだ。

 

そんな中、ひたすら引き算を続けた撮影の佐藤くんの功績は大きい。各シーンを撮り始める前に、私とキャメラマンは二人でカット割の確認をする。無論、コンテも書かずに、私たちだけの言語で会話は進むのだから、他スタッフは戸惑っていたように思う。「〇〇でいい」

こんな言葉ばかりで、どんどん簡略化されていくカット割。よく、”でいい”という言葉は、マイナスに取られる。人は皆”〇〇がいい”の方が、肯定的に捉えるのだ。しかし、私たちはそれに反して”でいい”を何百回と唱えた。これでいいのだ、これでいいのだ、と。

スタッフの中には、「こうしたい!こうして欲しい!と言ってくれたら、そうする」と言ってくれる熱い者も多くいたのだが、その多くは「これでいいのだ」に敗れていった。足して足して、豪華にしていくのではなく、引いて引いて、寂しくしていく。

 

 

「(これはいらない、あれもいらない。)これでいい。(これだけの方がいい)」

 

私は彼の撮る画面のおかげで、劇場公開までたどり着けたと心底思う。私の名前ばかりがSNSなどでも出てくるが、「佐藤知哉」というキャメラマンの名前を覚えておくべきだ。きっとこれほど引き算で画面を考える人間はいない。豪奢で煌びやかな映画には向くのかわからない。が、小さくとも芯のある、そういう映画では、彼こそ輝くはずだ。

 

全く余談だが、あまりに引き算をし過ぎた、とあるシーンの撮影終わりのこと。二人並んで、「あの画は必要だった。この映画の根本が揺らいでしまう」と落胆したことを思い出す。

それでも「やるしかねえので」と切り上げた彼の後ろ姿は、なんと美しいことか。

 

しかし、皆様聞いてほしい。こんなに褒めてやってるのに、彼はここ1ヶ月、人生最後の春休みを、人生最初の春うららと満喫している。『ぼくのなつやすみ』みたいな顔してるくせに!!淡いピンク模様に染まってしまった彼の心の臓を抉り取ってやりたい。恋人と映画、どちらが大切なんだ!目を覚ませ!映画だと言っておくれ!!

 

 

閑話休題

 

 

私のブログというのは、書き始めた時とは違い、想像以上に多くの目に触れているようだ。

 

 

ナタリーさんまで引用してくださって。にしても、このツイートは馬鹿っぽくてダメだな。反省。

 

けれども、いや、だからこそ、『海底悲歌』のなんらかの話をするのであれば、まずは第一に、「佐藤知哉」のことを書かねばならぬ、書きたいと思った。

 

ぜひ、興味を持った皆様、活きのいい撮影部をお探しの皆様、4/23〜上野オークラ劇場で上映される『海底悲歌』を、是非ともご鑑賞いただきたい。

きっとあなたが良いと思った画は、家に帰っても覚えている画は、その殆どが彼の画だ!と自信を持って言える。その代わり、あそこの画がダメだという話も、全部彼の責任にしようと思う!!

 

 

次回予告

次回は、今回の『海底悲歌』公開に至るまでのお話を少しばかり書こうかと。

 

そして最後に、何度も鬱陶しいだろうが予告を載せる。

予告を見よ!そして、予告じゃわからんのだから!劇場に来い!

来てください。お願いします。


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