我が逃亡と映画の記録

日頃の感情を書き連ねて

ようやく引越し。

次回予告の件

 前回の記事で卒業制作である『海底悲歌』の話を掘り下げていこうと書いたのだが、諸々の字事情で今は控えてほしいとお達しがあり、やむなく断念。いつか知ってもらえる機会があるにはあるが、それはこの媒体ではなさそうだ。かと言って、何も更新しないとなんだかサボっているような感覚に陥ったので、しばし近況報告が続く。

 

 

引越し

 ついに引っ越しのカタがついた。2020年11月20日現在、ようやく日常が始まったと言う感覚。仲間と3人暮らしの共同生活。住んでみると、ここはオアシスかというほどに充実している。引っ越して数日、家具を組み立て、住民票を移し、それから諸々のルールを決めた。各々が思い思いに過ごす中、私の部屋にはベッドだけが置かれている。寝る以外の時間を、できる限り映画に費やしたいという、ささやかな覚悟の結果だったのだが、仲間二人は私の部屋を見るなり「ドヤ街の簡易宿泊所だ」と揶揄してきた。

これは作業部屋の様子。

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 引っ越して三日目の夕方、J太郎が遊びにやってきた。当然、引っ越し準備の手伝いに来てくれたわけだが、思いの外早く進んだおかげで、何もすることがなくなった。J太郎は来るなり、目を輝かせて家を物色していたが、何もすることがないとはつまり、そう言うことだ。程なくして、次作の打ち合わせが始まる。

 ひとまず少人数体制の一発目と言うこともあり、機材も乏しく人材に欠ける我々は短編映画の企画出しを始めていた。それは数週間前のこと。私を含む3人の仲間でそれぞれ3つ程度持ち寄った。いつもの長編の企画出しは「もう少し粘ろう」と何度も何度も企画出しを進めていたが、短編はそうはならなかった。長編と心持ちが違うのは、短いからこそやってみたい企画を素直にできると言うところだ。すぐに決まった。パッと見でこれかなと一同一致。美術の担当が決まっていたJ太郎も、すぐにコレと言ってきた企画だ。もう少しすると企画書の清書が済み、初稿を書き始めていく段階。

 ここで言っても仕方ないかもしれないが、次作の登場人物で保育士と漫画家が出てくる。知り合いにいらっしゃる方は、是非取材をさせていただきたいので連絡を待っています。

 

打ち合わせの話

 とまあ、少し脱線してしまったが、始めようかと言う掛け声もなく自然と始まった打ち合わせ。さっきまでジャンプの新連載の話や打ち切り予想で盛り上がっていた一同が、特段号令なく映画の話題にシフトするのは心地よかった。日常に映画が溶け込んでいる何よりの証拠ではないか。まずは、企画の根本である部分のラストのイメージの共有と撮影時期や制作体制を話し込む。問題点を洗い出し、どんどん企画が見えてくる。他の方々の映画の始動体制を私はよく知らない。我々の始動には全く明確なものはない。「こんな感じの人間がいい。こんなことを起こしたい。ラストがこうなる」くらいのログラインにも満たない思いつきから進む。例えば、前作の時の始動では、「女教師の話をしてみたい」「寂れた銭湯とかいいよね」などと、思いつきから進んで行った。そうして、シナハンに出かけ、寂れた銭湯を紹介してもらい、そのついでに全く関連のない近辺を散策した。そこで見つけたヤマハ音楽教室の廃ビルにスタッフの多くが食いつき、「潰れた音楽教室の廃墟で、今もピアノを弾き続ける男」という思いつきが、「男と女教師の再会」という思いつきとつながった。

 テキトーと言えば、そこまでなのだろうが、私はこの作り方が楽しい。思い返せば、銭湯の思いつきはまさにマクガフィン。馬鹿馬鹿しいが、映画を作るのに、マクガフィンがないなんて楽しくないじゃないかとさえ思う。

 じゃあまた初稿見せて、とJ太郎を送る道中、こんな話になる。

 

帰りの車内

 「『お兄ちゃん』(私が大学2年の時に撮ったフィルムの短編)は、見てて、これは現場死ぬほど楽しかったんやろうなって思った」

とJ太郎。確かに死ぬほど楽しかった。

 人の金でフィルムを使えた上に、題材そのものがただただ乱闘をするだけのお話だったので、それはそれは思いつきの嵐で撮影が進んだ。卵を投げようか、噴水に突き落としてしまおう、乱闘のラストはグローブを着けて、人でリングを作ってボクシングをさせようなどと。あの時、私たちの暴走を止めようと躍起になっていた教授陣は現場に来るたびに、「一体何をしているんだ」「なんで台本を持っていないんだ」と怒っていた。「わからないなら口を出すな」と豪語し、「これはリュミエールだ」などと思い返すだけで赤面ものの発言さえしていた。ただただ映画を撮ると言う行為に喜びを見出していた。そんな姿に「もっとやれ」と発破をかける教授もいたような。思い返せば、それ以来、本番中に笑っていない気がする。脚本を持たずに現場に臨んだのも、それ以来ない。

 きっと気楽さとは異なる感情だった。暑い夏の日に、台風による撮影中止や、時間的制約、フィルムの制約、そういうものはあったのだから、全く気楽ではなかった。ただ、楽しんでいたのだ。無論、カナリヤや海底悲歌が楽しくなかったわけではない。ただ何かが違った。それは一体なんなのだろうか。

 

最近始めたこと。

 引っ越してから始めた事がいくつかある。一つは引っ越し準備の際に数年ぶりに発見したiPadを活用しようと始めた電子書籍での読書。これは楽しい。私は元来、たいして読書をしてこなかった人間だが、一時期、高校時代だろうか、明治文学を貪るように読んだ時期がある。その時分の読破した本が懐かしのiPadにまだ残っていた。漱石を久しぶりに読み返すと、面白い面白い。そのまま、最近の芥川賞のセールをしていたので、何冊か購入。ほとんど明治文学しか読んだ事がなかったので、何を読んでも新鮮に感じられて楽しい。今は、お顔で惹かれてしまった川上未映子の作品とオードリー若林のエッセイを読み進めている。後者は最高だ。社会人なんたらというタイトルなのだが、本当に笑える。

 

 二つ目は、これは今日から始めた事なのだが、模写である。私は本当に絵を書く事が苦手で、一度は絵コンテなるものに挑戦した事があるものの、「これじゃがいも?」とキャメラマンに聞かれ、それ以来書かなくなった。それは人だった。「次からは字コンテでいいよ。解読につかれるから」という彼の言葉は私の心を酷く傷つけた。とにかく、絵コンテくらいは書けるようになれば、人に伝えるのも楽になると練習し始めた。もちろん、最終目標はオリジナルの漫画を書くことに決まっている。ずっと絵を描ける人間コンプレックスを抱いてきたので、そんな人間たちの絵を、模写ながら少し再現できるのは、得も言えぬ快感がある。非常に楽しい。とはいえ、最初はお気に入りの成人漫画を模写した結果、目が難し過ぎて挫折の一途を辿っているが...

 

 三つ目は、小説執筆である。ライフワークとも言える、とあるテーマを高校時代から追っている。それはドキュメンタリーとして昨年撮影したりもしたのだが、どうも映像には向かない感覚があり、撮影しなくなった。しかし、膨大な取材の山を自分の中だけに留めておくわけにはいかないという、謎の使命感から、少しずつ取材の成果を文章に認める行為を始めていた。それを読んだ人間から、「小説として書いてみてはどうか」と勧められたことから書き始めた。誰に見せたい、ゆくゆくは出版を、などとは微塵も思わないのだが、趣味として書く分には、ストレス発散と「この取材は無駄ではない」と少なからず実感できることから、いい精神安定剤になっている気がする。

 

終わり

 環境の変化とは恐ろしいもので、初期衝動を思う存分利用した結果、寝不足に陥る始末。そろそろ、今回は終わろうかと思う。このブログ自体は、奴隷日記の事実を誰かに共有したいという感情から生まれたものであって、ここに来る方々は、あのようなコンテンツを期待して、まだきてくれているようだ。私の日常にはなんら興味の無い方が大半だろうが、しばらくはこんな風にまったり進むだろう。ブログとは本来こういうものなのだろうが。